あくまでも

高校に進学すると、人と関わるのが怖くなった。
悪魔に取り憑かれたからだ。
会話をするたびに、悪魔が怒鳴る。
「また刺すのか悪魔め」
地獄の日々が始まった。
 
友人や知人と話している時にはいつも、悪魔の怒鳴り声が聞こえてきた。
幾度となく聞かされた結果、毎回悪魔にお伺いを立ててから言葉を発するようになった。
当然話し相手への反応は遅くなる。
それが度々相手を不快にさせた。
なんとか絞り出した言葉でさえも、稚拙で空疎なものだった。
二進も三進もいかなくなり、僕は言葉を吐き出せなくなってしまった。
 
そうして辿り着いたのは、愛想笑いでごまかすことだった。
行動が単調になり人と親密に関わることが難しくなったが、なりふり構っていられない。
悪魔から解放されたい一心で、悪魔の気に入りそうな正しい言葉を必死に考え続けた。
相手の性格は?
どんなことを考えているのだろう。
友好を深めるためにはどんな言葉が効果的か。
この状況に最も相応しい答えはなんだ。
思いつく限りの要素を考慮して、言葉を選ぶようになっていった。
 
悪魔の怒鳴り声は大学生になってもなお、響いていた。
社会人になってようやく小言程度に落ち着いたのだが、今度は新たな問題に悩まされていた。
自分の感情を表現できなくなっていたのだ。
それまでの自分は悪魔を満足させることがすべてだと考えていたから、当たり前だ。
社会人になって初めて、自分と悪魔を同時に満足させる必要があると感じた。
ネットサーフィンを繰り返し、社会の荒波に揉まれ、本の海に沈んだことでひとつの解決策に至った。
それは、ペルソナを被ることだ。
 
TPOP、TPOに個人を表すPersonを加えて人との付き合い方に転用した独自の概念に応じて、精神的仮面を用意し、その都度被ることにした。
あくまでも自分は自分であると自覚して、魅せ方だけを柔軟に変化させる。
ありのままに振る舞うよりも、よっぽど理性的で人間らしい行為だと思えた。
 
この処世術は社会において非常に有効な手段だった。
人の心がわからない僕が、優しいと言われるようになった。
人見知りが治らなくても、温かく接してくれる人がいる。
高校生の頃からずっと憎んでいた悪魔は、いつの間にかいなくなっていた。
今では心から感謝している。
やっとわかったからだ。
悪魔は僕の幸せを願っていたのだ、と。
損な役回りだと思う。
嫌われるどころか、1歩間違えれば感謝すらされないだろう。
だが、救われた人間として、倣わなければ。
大切な人が困難に直面したとき、
 
僕は悪魔になりきれるだろうか